屠所の羊

備忘録

レスポンスが遅い人

レスポンスが遅い人ってなんなんでしょうね。

じぶんの気持ちを表現できないって人もいるかもしれない。自分の意思表示で嫌われてしまうかもと思うとのらりくらりと当たり障りのないことばかりを言ってしまう人もいるかもしれない。しかし、尋ねている方は、あなたの意思が知りたいのだ。

もちろん、中には尋ねている体で自分の希望する返答しか求めていない人もいる。それで期待に添えないと不機嫌になったりする。それを恐れると当たりさりのない黒とも白とも取れない返答になってしまう。まったく効率的ではないコミュニケーションではないか。返事の仕方に迷って1晩寝かせるという行為も、その間のお互いの時間が浪費され、なにも生まない。結局返答の内容は変わらない。むしろ返答が遅かったという事実が相手に負の感情を与えうる。1晩考えたところで良い表現など浮かばない。人の表現力や語彙力は日単位で成長しないのだ。

どんな返答でも、私はあなたの意思確認がしたくて尋ねている。肯定・否定、どちらの可能性もあると思っているから尋ねている。分かっていれば尋ねたりしない。

悪戯に返答を先延ばしにしたり、有耶無耶にすることになんの意味があるのか。結局「そういった態度をとるということは、嫌なのかな?」とこちらで言葉尻・非言語情報から推測することになる。なんて非効率かつ曖昧なコミュニケーションでしょうか。空気は読めるに越したことはないが、空気を読めない人間でも使えるものが言語というツールでしょう。空気などという曖昧なものに頼ってすれ違いや時間の浪費を行うくらいならしっかりと自分の感情や意思を言語化する訓練に時間を費やした方が良い。

昔と違って、今は遠く離れたところにいても言葉を伝えることができる。それにはその場の空気や視線、語気などの非言語情報は伴わない。だからこそ、そう言った機微を大切にする細やかな人は気を遣って考えすぎて疲れてレスポンスが遅くなってしまうのかもしれません。

もう、空気を読むことはできない時代ではないでしょうか。

時代に即したコミュニケーションをしていかなければ、私たちの精神は壊れてしまう。

言葉通りのコミュニケーションをしませんか。

ちょっと文章が硬いとか、返信のタイミングとか、絵文字が少ないとか、そういったことで非言語コミュニケーションしてたら疲弊してしまう。だってそうでしょう。あなたには1日何通のメッセージが来ますか。

だからさ、言葉通りにしか受け取らないから、深く考えずに、推敲もせずに、ぽーんと答えて欲しい。気になることがあればまた質問するから。そう言った即時性に特化したコミュニケーションツールが発達している時代でしょう。

あなたが先延ばしにした返答まで、相手はいろんな可能性を考えて動けずにいる。あなたの返答次第で右にいくか左に行くかを決める。それを分かっていれば、もう少しレスポンスは早くなるのではないか。あなたが浪費しているのはあなたの時間ではなく相手の時間なのだ。どうでもいい人にはどうでもいい質問しかしない。

いついかなる時も、自分の行動を決めるのは自分しかありえない。しかし、他人と生きると決めたなら、自分の行動を決める上で他人という不確定要素が入り込む。これは一人を謳歌してきた人にはだいぶストレスだ。今まで通り自分は自分というスタンスでお互いが生きるのもありかとは思う。うまく行くかは知らないが。主従関係も楽だと思う。決定権はどちらかにある状態なので諍いが起きない。お互いがお互いのパートナーを尊重しつつ折り合いをつけて最良を模索していくのが一番困難だろう。そしてそれにはコミュニケーションが必須である。私は自分の最良よりも、お互いの最良を探していきたい。お察し合ってすれ違っているくらいなら、言葉でボコボコに喧嘩したい。察するのではなく、解りたいのだ。知りたいのだ。

現時点で私には待つしか選択肢がない。

果報は寝て待て。