屠所の羊

備忘録

自分を大切にするということ

大人になって、自分を大切にするということを意識しだした。おそらく子供時代は生育家族に大事宝に愛されてきたので自分で自分を大切にしなくても誰かしらに大切にされていた。それが大人になって1人で暮らし始めると、自分を大切にしてくれる人は自分しかいないということに気がついた。そりゃ家族はまだ健在なので遠い土地には居るが、日常のふとした落ち込みや喜びを身近に分かちあったり、体調が悪い時に「大丈夫?」と声をかけてくれるものも居ない。孤独といえば孤独だが、それが耐えられないほど辛い訳では無い。両親は「仕事が辛くなったらやめて帰ってきて良いんだよ」と言う。以前、友人が親に「うちにはお金があるんだから、無理に就職する必要はないんだよ」と言われた話を聞いた時に、お金持ちの家は違うなぁと思ったが、自分が就職して両親から「仕事辞めたっていいんだよ」と言われた時に「あぁ、これが避難場所を作ってやるという愛情か」と思った。いつか死ねると思うから今生きていけるように、いつでも辞められると思うと頑張れる。なんて大切にされているんだろうと感じた。赤の他人は、それほど大切にはしてくれない。大切にする人を自分で選んで関わっていく。赤の他人だけど、私はあなたを特別に大切にします、という意思表示がお付き合いではないだろうか。恋人がいる人は、きっと恋人から大切してもらえる。なんて暖かいことだろう。でも中には、大切にしてもらえない関係のお付き合いも存在する。ぞんざいに扱われ、すり減っていく精神。まるで付き合っていること自体が愛されていることの証かのようにそれに執着する。あなたを大切にしない人を、大切にする意味はありますか?大切にされないことに慣れると、自分を大切にできなくなります。それが当たり前のことのように思えてきます。返事が来ない、嫌だと言ったことをスルーされる、ぶつけた感情を取り合って貰えない、思っていることを言ってくれない。返事をするだけの価値もない人間なのか、私の感情は取るに足らないものなのか、伝えるメリットより労力の方が勝るのか。だんだん、自分が大切にされるだけの価値がないものに思えてくる。しかし、それは間違いだ。相手があなたを大切にしないだけで、あなたに価値がないわけではない。あなたの価値はあなたが1番知っていて、あなたが1番大切にできるはずだ。そんな何処の馬の骨とも分からんやつにぞんざいに扱われたからと言って落ち込むことは無いのだ。誠意を持って接して、誠意を持った態度で返して貰えなかった時

あなたの誠意が足りなかった訳では無い。どんな時でも自分を大切にして。ぞんざいな扱いをする奴には少し配る愛情を減らしてみて、減らせるだけ減らしてみて、バランスが取れるところまで減らして、気付いたらゼロになってたとしたら、それはゼロとゼロで釣り合ってるという事だ。余った愛情を自分で温めて、凍えてる人に配ってもいいし、しばらくすり減った自分のために蓄えておいてもいい。また大切にしたいと思える人が現れた時に手渡せるように。ボロボロの自分では、ぬくぬくの愛情は蓄えられない。他人から大切にされようなんて思ってちゃいけない。あなたはもう大人なのだから。そろそろ与える側にならなければならない。けれども、熱を奪われ続けても燃え続ける薪はありません。炎を絶やさないように薪をくべることが出来る人を、大切に暖めてあげてください。価値あるあなたの愛は、きっと誰かの心をあたためることができます。