屠所の羊

備忘録

足跡

私は物を捨てるのが苦手だ.

いつか使うかもしれない.まだきれいだから.思い出の品だから.

理由はいろいろあるが,一番は「いつか使うかもしれない」が一番だろう.思い出の品は意外とすぐに捨てられる.きっと親の形見でも捨てられる.

いつか使うかもって思うとどうしてこんなに捨てることができないのでしょう.たとえボロボロでも,また使うかもと思うと捨てられない.愛着あるかと思うとそういうわけでもない.

また使うときは,来るのだろうか.

それを使わないといけないときは,本当に来るのだろうか.

捨ててしまったとして,また買えばいいじゃないか.全く同じものは手に入らないかもしれないけれど,全く同じである必要はあるのだろうか.今より新しくて,性能が良いものを手に入れればいいんじゃないか.もし,今のスペックが余りあるなら,もう少し安価で手に入れやすいものを手に入れればいい.わざわざ使わない期間に自分の懐で大事宝に持っていて,それは卵ではあるまいし,温めていいことはあるんだろうか.

捨てずに大切に所持することで,なにか芽吹くことはあるのだろうか.汗ジミのように愛着だけは染み着くかもしれない.ボロ雑巾みたいなぬいぐるみを抱いている姿は滑稽だ.私の手汗で汚れてしまったぬいぐるみはどこまでも私の匂いしかしない.話しかけても返事はしないけど,ほしい返事は決まっているから私が変わりにセリフを入れてあげる.かわいい声だった気がするけど,もうあまり声も思い出せない.こだまのほうがまだ返ってくるだけいい.ぬいぐるみを捨てても,こだまが返ってくるわけじゃない.

どんなに汚く薄汚れても大切にするよって思ってたんだ.前はもっとキラキラしてたね.でもくたびれて少しヘタってバランス崩しそうなところも愛しい.そう思えていれば捨てないほうがいいだろうか.でももう,手を握っても声を聞かせてはくれないし,黒い瞳は色あせて私を写さない.関わることができないなら,そこに私が存在することを誰が証明できるのだろう.

りんごが木から落ちることで重力が見えるように,木々が揺れることで風が見えるように,私の声かけにあなたが答えることで私は存在する.

でもまあこだまでもいいのかもしれない.全部捨てても,私はちゃんと私として存在できるように世界は成り立っている.私が海へ飛び込めば水は私を避け,私が歩けば足跡ができ,私が空を見上げれば,星の光は私へ落ちる.

捨てるべきはなにか.

壊れてしまったぬいぐるみか.

私の腕は二本しかない.いや,二本もあるから,まずギュッと自分を抱きしめてみる.