屠所の羊

備忘録

水は

「水は海に向かって流れる」感想です。ネタバレあるので、是非、是非漫画をまず読んでください!!

 

まず『子供はわかってあげない』とかもそうですけど、タイトル好きです。ありがとうございます。

 

「あなたも恋愛をすればわかるよ」という母の言葉は雑音としてずっと榊さんの手の中にあったワケで、その中で、恋愛をしようと踏み出す一歩ってなかなか難しいと思うんです。

一度言葉にして相手に届いてしまったら、それはもう2度と後戻りできない。母に自分が罵詈雑言をぶつけなかったら、母は戻ってきたかもしれない。そう言った「かもしれない」を何回も何回も繰り返して、彼女は何度も何度も怒ろうとして諦めたんでしょう。

「怒らないのは許してるのと同じよ」

「自分が生きてる間くらい怒ってたっていいでしょ!?」

印象的なセリフでした。わかる。なんのために怒るのかって、考えたことあるけど、謝って欲しいとかじゃないんですよね。少なくとも私は。謝ってもらって気持ちが晴れたことないです。それじゃあ何のために怒るのかって、怒っていることを知って欲しいからです。何とも思っていないと勘違いして欲しくない。許されたなんて思って欲しくない。私は、あなたのその行為に深く傷つき、怒っているのよ、と知らせたいのだ。

そんなの、怒る必要ないじゃないかと言う人がいる。冷静に伝えればいいじゃないかと言う人がいる。そう言う人は、それならばちゃんと相手の言葉を受け止められているのでしょうか。冷静に発された言葉と、感情を乗せた言葉、同じように受け取ってくれますか。伝えたいことは一番伝わる方法で伝えなくてはならない。私は怒っていると伝えたい。

直達くんの、「怒っていたことを覚えています」というのは、榊さんが一歩踏み出す上でとても大切な約束になった。

許せないことでも、ずっと怒っていることはできない。ずっと怒っていたいのにね。だから榊さんは恋愛をしないことでずっと許さないという表明をしていたのだろう。

どこかで矛を納め、許せない思いを自分のなかに沈めて生きていかなければならない。でも納めた矛を無かったことにしたくない、一生懸命な榊さんを救ってくれる、それ以上でも以下でもない素晴らしい約束だった。

 

「右手に雑音 左手に約束 もうどこにも行けないような気分は おしまい」

生きていくと雑音は増える。でも大切な約束も増えていく。

 

 

直達くんが、榊さんの持っているものを「半分持ちたい」と伝えるシーンで、「いい子でいなきゃ捨てられる」という思いが過ぎるけれど、ああ親の不倫は榊さんだけではなくて5歳だったこの子にもしっかりと爪痕を残しているんだと1コマだけど感じさせるものだった。グレたり、甘えたり、わがままをいうのは、「子ども」の特権というよりは、愛されている者の特権なんですよね。自分の立ち位置を理解して、自分が一人でできることを増やして、拒否されることを恐れずにわがままを言うことはこどもにはできない。

「わがまますら言えないコドモのままじゃ 目の前のこの人が背負うモノを半分持つこともできない」

直達くん本当に16歳なのかな〜私16歳のとき何してた?

しかしその直後の「王蟲の子でもいるのかな?」「いない、いないったら」といい、内容は重いけど、面白く読ませてくれるところが作者の腕の良さですよね。

 

許されたい父とか、忘れたように振る舞っているけど全く忘れられない母とか、いつか幸せを壊しに誰かがやってくるんじゃないかと怯える母とか、どうでもいいけど娘は可哀想だなと思ってる父とか、なんだろう感情まとまりません。

許されたい父は、きっとそこに困っている人がいたから優しくしちゃっただけで、迷惑をかけたとしか考えてなさそうな善良な感じがすごい怖かった。

いつか幸せを誰かが壊しにやってくるんじゃないかと怯える母は、色キチと言われるだけあって分かり合えない感があったけど、許されたい父よりは理解できた。

 

「周りを散々傷つけまくった結果・・・運命じゃなかったら どーなる?」

「・・・そらまあ 宿命になるわな」

きっと宿命になってしまい、駆け落ちした二人は、1年間で破局している。運命と宿命の違いってなんでしょうね。

 

水はどんな形にもなる。けれども流れ着く先は同じ。

 

 

最後に、ミスター・ムーンライトは可愛い。

質問は目的をもってするものではない

先日ですね、他人に「あなたは私をどう大切にしていますか。」などと正解のない問いをしてしまい、大変反省しています。

これ、プラスの行いをしていれば答えられるんですけど、マイナスの行いをしない方に頑張っていると、何を言ってもプラスには働かないんですよね。その一番の要因は質問者が求めているのはプラスの行いだからということだが、それ以外にもマイナスの行いをしないように頑張っているということはそのマイナスを意識させられて良い思いがしないということもある。

「〇〇と言われたくはないだろう」「〇〇されたくないだろう」そういった認識で相手が行動していると知ることは、マイナスにならずに持ち堪えていたものがマイナスに傾く要因である。日常をともにする相手は、マイナスを与えてくるひとは論外であり、時折プラスを与え合うような関係が理想だ。「あなたは私をどう大切にしているのか」など質問する時点で少なくともプラスを感じていない。その上でそんなマイナス要因持ってこられたら心の天秤は傾く一方だ。

いくら返答に困っても、しないように心がけているマイナスの言動は、口に出してはダメなのだ。「マイナスの言動をしないように心がけている」状況はプラス(もしくはプラマイゼロ)だが、「マイナスの言動をしないように心がけている」と言ってしまった状況はその質問に至るまでの経緯を含めてマイナスにしかならない。もっと違ったニュアンスとシーンでいえばプラスになることもあるかもしれないが。

深く考えずに質問したが、なんて幸せになれない質問をしたんだと公開した。何を言われても心が冷えていく。

なにかプラスのことを言ってくれれば満足するのかといえばそうではない。まず、私は愚かではないし鈍感でもないので、相手が心がけてくれているプラスに気がつかないわけがない。でも考えすぎて、私は愚かではないが、私の大切に仕方と、他人の大切に仕方は異なるかもしれないと考えた。持論として、自分が愛されたようにしかひとを愛せないと思っているので、そもそも愛し方が違うのかもしれないと考えた。それならば訊いてみるしかないじゃあと。なるほどね、そういう風に私を大切にし、思いやってくれていたのね、と思える返答があるのかは深く考えなかった。

マイナスのことをしないって、ものすごく重要。でもそれを答えられると心が冷えてしまうのは、この人はこんなにも、私のためにと、様々なことを我慢し、やってあげてるつもりなのかと自分の立ち位置を理解してしまうから。

私が言われたくなかったら、あなたはそれを言ってしまうのか。私がされてもよいというなら、あなたはそれをしてしまうのか。

私のためにしないというなら、本当はあなたはそれをやりたいんだな。

そんなことを。

君のために喫煙はしないと言う人は、本当は喫煙をしたいひとだ。

私のために人は殺さないと言う人は、本当は人を殺したいひとだ。

本当は人を殺したい人なのだと知ったとき、私のために人は殺さないんだと喜べるだろうか。

杏寿

劇場版鬼滅の刃無限列車編、怒涛の快進撃を見せていますね。私も一ファンとして観賞いたしました。

鬼滅の刃は漫画から追っていて、コミックス派なので最終回はまだ未読です。私は漫画という表現方法そのものが好きで、漫画原作でアニメを絶賛することはあまりないのですが、鬼滅の刃は例外でした。原作の独特の絵柄も、独特の台詞回し、シュールな笑いなどのすべて好んでいたので劇場版が公開されるまでアニメは見ていませんでした。どうせ漫画は越えられないと思っていました。

劇場版を見に行くことにしたのは、ただ暇で疲れていたからです。煉獄さんが死ぬことも知っていたし、おそらく泣けるだろうなと思ってカタルシスを求めて観賞しに行った。

軽い気持ちで観に行って、恐ろしいものを観た。

金はすごくかかっているだろうと踏んでいた。全世界で大ヒットしているアニメの劇場版なのだ。私が制作側だったら一世一代の大仕事だと心を燃やして作り上げる。

いやあ燃えていました。

まず映像がものすごく美しい。炭治郎の無意識領域はとても暖かいし、煉獄さんの無意識領域は少し不安になる。あんなに心を燃やして彼は・・・彼は・・・・なんにも残らないよ・・・。夢の中でも父に認めてもらう言葉をもらえない煉獄杏寿郎に私は目頭が熱くなり申した。しかし、これは帰宅後0巻を読むとまた印象が変わる。そもそも「杏寿郎」という名付けですよ。両親はなにより長生きして欲しくて名付けたのでしょう。我が子も鬼狩りになると思いながら。そして彼は父を理解していた。父が杏寿郎を思って、息子のことが心配で心配で認められなかったことを、彼はちゃんと気づいていて、夢の中ではそんな父を否定しなかった。父は父のまま。千寿郎は千寿郎のまま。もっと都合の良い夢を見れたと思うんですよ。自分に熱心に指導してくれる父、優しく凛とした母、可愛い弟、そんな日常を彼は夢見なかった。彼にとって一番幸せな瞬間は、父に柱になったことを報告する時だったのか。反応はどうであれ。他者からの評価に依存しない強い自己と自分の果たすべき責務を意識していることに慄きました。正直漫画ではこんなに考えなかった。あと細かいんですけど、劇場版だと夢に切り替わったときに煉獄さんの右手が脇に置いた日輪刀に触れて(ああそうだ、柱になったご報告を)と思い出すんですが、この演出がまた良い。原作を忠実に再現しながら細部に息を吹き込んでいく。最高の仕事をしてくれている。この演出考えた人天才だから名乗り出て欲しい。

あとやっぱりアニメーションは音の力が大きい。伊之助の夢の洞窟探検隊のリズムと動き、めちゃくちゃ良い。あとなんだろう、声優さん良いよね。善逸の「禰逗子ちゃんの爪先も濡らさないよ」漫画よりアニメの方がセリフのインパクト大きかった。私、耳が悪いからかアニメのセリフ聞き取れないこと多々あるんですよ(私生活でもよくあるが)、だからか漫画の方がセリフがしっかり入ってきて良いってのもあったんです。アニメの方がしっかり入ってくるなんて新鮮です。

声優といえば、魘夢の声、めちゃくちゃよかった。なにあれ。特になんとも思っていなかったキャラだし、どんな声でもどうでも良いやって思ってたんですけど、演技はうまいし、キャラがさらに良いキャラになってるし、音の力ってすごいなと感心した。最後消えていくときの演技とか、表情とかなにもなくても声だけで表情と感情が伝わってくるすごい演技かつめちゃくちゃ聞き取りやすくて・・・声優さんの名前覚えました。

みんな、聞き取りやすい(涙)

炭治郎と伊之助が少し聞き取りにくい時あるくらい。

炭治郎が「そんなこというわけないだろう俺の家族が。俺の家族を侮辱するな」とぶちぎれるシーンあるじゃないですか。あのシーン、炭治郎の家族は本当に良い人たちだったんだなあとこみ上げてくる大好きなシーンなんですけど、侮辱するなはすこし聞き取りにくかった。それも含めてめちゃくちゃ感情こもっててよかった。好きなセリフに息が吹き込まれていた。ありがとう。世界ありがとう。

煉獄さんの戦闘シーンに関してはもう、映像栄えするわするわ。わたしが初見だったら負けると思わないよ??????

奥義、のところから鳩尾貫通まで、漫画だとなにも描かれていないところをまた昇華させてくれちゃってますわよね。初見のときビリビリと緊張した。「奥義」とかいうベタな言葉に心震えるほどかっこいいと思うなんて思わないじゃん。もう27歳よ私。

しかも、よもやよもや、その奥義が「煉獄」ね。心得てらっしゃる。オタク心を・・・。

そこからの母の回想。最後の瞳の揺れ、またアニメっていいなって思わせてくれる小粋な表現してくれるじゃん・・・。恐ろしい・・・。しかし、彼はどれだけのものを背負わされてきたのか。あんなに幼い頃から。

炭治郎の逃げる猗窩座への投擲からの「煉獄さんの勝ちだー!!」漫画でも泣きましたけど、声つくとまた、しんどさが半端ないのと、音楽が反則です。劇場版観た時アニメみてなかったから知らなかったけど、あれ竈門炭治郎の歌なんだね。あの曲がまた良くてお涙頂戴よ。言ってしまえばあんな負け惜しみみたいなことを、全力で泣きながら言ってくれる主人公、なかなかないですよね。

その後の煉獄さんの声音の優しさたるや。声優さんってすごい。

煉獄さんが最期に母へ問いかけるセリフも、ハキハキしていて、もう死ぬ人とは思えなくて、でもそこが煉獄さんだなって、わたしは今これを書きながら泣きそうです。いろんな表現ができただろうに、ああいう表現をしてくれて、私は感無量です。

「何か一つできるようになっても、またすぐ目の前に分厚い壁があるんだ」という好きなセリフも、おいおい泣きながら聞きました。

私は知ってたから耐えられたけど、初見、死ぬのでは?

劇場版を観終わってからアニメ追っかけたけど、だって那田蜘蛛山編でボロボロになって、柱って別格の強さなんだって知って、無力を思い知って、全集中の呼吸の常中できるようになって、万を侍しての無限列車編ってことでしょ?そんなんそろそろ勝つと思うじゃん。えぐすぎる構成だし、爽快感ないのになんでこんなにヒットしてんだわからん。

たしかに実質煉獄さんの勝ちだし、猗窩座の逃亡の姿とか惨めだからそれでバランスとれ・・・ないだろ。煉獄さん死んでんぞ!!!!!誰一人死なせないでくれよ。己含めてさあ・・・。

これ以降煉獄さんが出ることはないと思うと、しんどい。そうしてオタクは何度も劇場へ足を運ぶのであった。

立派でした。

死ぬほど立派でした。

主題歌の炎、良いですね。なんだか穏やかでピンとこないなと初めて聞いた時は思いましたが、今では反射的に心がきゅうっとなります。エンドロールの画集をください。頼むから画集を出してください。煉獄家のアルバムを。

100億の男と呼ばれていますが、500億くらいの煌めきを放っていました、煉獄杏寿郎。

つよくあれ。

とても惨めな気持ちだ。

なんでこんなに惨めな気持ちになるんだろうか。私は私が立派なものにしてあげなきゃいけないのに、それができなくて他者の言動で惨めな気持ちになる。

精神的に安定しているひとは、自分の価値を自分で確立しているひとだろう。

他者の戯言で心を揺らしたりしない。

他者の一挙手一投足に一喜一憂しない。

しっかりしろ。

わたしが泣いたところで、誰も悔いたり反省したりしない。

惨めなのは私なのか、よく考えろ。

私を惨めにしているのは私だ。

しっかりしろ。つよくあれ。

 

レスポンスが遅い人

レスポンスが遅い人ってなんなんでしょうね。

じぶんの気持ちを表現できないって人もいるかもしれない。自分の意思表示で嫌われてしまうかもと思うとのらりくらりと当たり障りのないことばかりを言ってしまう人もいるかもしれない。しかし、尋ねている方は、あなたの意思が知りたいのだ。

もちろん、中には尋ねている体で自分の希望する返答しか求めていない人もいる。それで期待に添えないと不機嫌になったりする。それを恐れると当たりさりのない黒とも白とも取れない返答になってしまう。まったく効率的ではないコミュニケーションではないか。返事の仕方に迷って1晩寝かせるという行為も、その間のお互いの時間が浪費され、なにも生まない。結局返答の内容は変わらない。むしろ返答が遅かったという事実が相手に負の感情を与えうる。1晩考えたところで良い表現など浮かばない。人の表現力や語彙力は日単位で成長しないのだ。

どんな返答でも、私はあなたの意思確認がしたくて尋ねている。肯定・否定、どちらの可能性もあると思っているから尋ねている。分かっていれば尋ねたりしない。

悪戯に返答を先延ばしにしたり、有耶無耶にすることになんの意味があるのか。結局「そういった態度をとるということは、嫌なのかな?」とこちらで言葉尻・非言語情報から推測することになる。なんて非効率かつ曖昧なコミュニケーションでしょうか。空気は読めるに越したことはないが、空気を読めない人間でも使えるものが言語というツールでしょう。空気などという曖昧なものに頼ってすれ違いや時間の浪費を行うくらいならしっかりと自分の感情や意思を言語化する訓練に時間を費やした方が良い。

昔と違って、今は遠く離れたところにいても言葉を伝えることができる。それにはその場の空気や視線、語気などの非言語情報は伴わない。だからこそ、そう言った機微を大切にする細やかな人は気を遣って考えすぎて疲れてレスポンスが遅くなってしまうのかもしれません。

もう、空気を読むことはできない時代ではないでしょうか。

時代に即したコミュニケーションをしていかなければ、私たちの精神は壊れてしまう。

言葉通りのコミュニケーションをしませんか。

ちょっと文章が硬いとか、返信のタイミングとか、絵文字が少ないとか、そういったことで非言語コミュニケーションしてたら疲弊してしまう。だってそうでしょう。あなたには1日何通のメッセージが来ますか。

だからさ、言葉通りにしか受け取らないから、深く考えずに、推敲もせずに、ぽーんと答えて欲しい。気になることがあればまた質問するから。そう言った即時性に特化したコミュニケーションツールが発達している時代でしょう。

あなたが先延ばしにした返答まで、相手はいろんな可能性を考えて動けずにいる。あなたの返答次第で右にいくか左に行くかを決める。それを分かっていれば、もう少しレスポンスは早くなるのではないか。あなたが浪費しているのはあなたの時間ではなく相手の時間なのだ。どうでもいい人にはどうでもいい質問しかしない。

いついかなる時も、自分の行動を決めるのは自分しかありえない。しかし、他人と生きると決めたなら、自分の行動を決める上で他人という不確定要素が入り込む。これは一人を謳歌してきた人にはだいぶストレスだ。今まで通り自分は自分というスタンスでお互いが生きるのもありかとは思う。うまく行くかは知らないが。主従関係も楽だと思う。決定権はどちらかにある状態なので諍いが起きない。お互いがお互いのパートナーを尊重しつつ折り合いをつけて最良を模索していくのが一番困難だろう。そしてそれにはコミュニケーションが必須である。私は自分の最良よりも、お互いの最良を探していきたい。お察し合ってすれ違っているくらいなら、言葉でボコボコに喧嘩したい。察するのではなく、解りたいのだ。知りたいのだ。

現時点で私には待つしか選択肢がない。

果報は寝て待て。

 

 

いさごや

海が見える宿が好きでよく宿泊する

これは湯野浜温泉いさごやさんの食事会場から見える日本海

日本海側にしか住んだことがないので海からの朝日を拝むことはほぼない。朝寝坊なのでちょうど良い。

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素敵な宿だったけど、お盆特別価格で宿泊したので満足度が低くなってしまった。定価で泊まれば大満足だと思う。なにより景色がいいし、食事が美味しい。温泉も広い。泉質はあまり覚えていない。

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湯野浜温泉は、愉海亭みやじまに宿泊したことがあるが、これもコストパフォーマンス最強だった。

あまり宿をリピートすることがない(新しいところ好き)なので、ここもおそらく2度目はないが、貝嫌いの私に気がつき声かけしてくれ、さらには突如メニュー変更までしてくれた素晴らしい宿なので、定価で宿泊されることをお勧めする。

ぽろぽろ

とっても悲しかったの

涙が溢れてきて

放っておいてくれたなら

いずれ涙は枯れて乾いてくれるかなって思っていたのに甘かった

ひとりで意味もなく

涙を流している滑稽な自分への憐憫でまた涙が溢れてくる

涙が涙のよび水になって

もうこれは永久機関

涙を拭ってくれる手はどこでしょうか

悲しみは尽きない

私は自分で涙を拭わなければならない

それがとっても悲しかったの