屠所の羊

備忘録

質問は目的をもってするものではない

先日ですね、他人に「あなたは私をどう大切にしていますか。」などと正解のない問いをしてしまい、大変反省しています。

これ、プラスの行いをしていれば答えられるんですけど、マイナスの行いをしない方に頑張っていると、何を言ってもプラスには働かないんですよね。その一番の要因は質問者が求めているのはプラスの行いだからということだが、それ以外にもマイナスの行いをしないように頑張っているということはそのマイナスを意識させられて良い思いがしないということもある。

「〇〇と言われたくはないだろう」「〇〇されたくないだろう」そういった認識で相手が行動していると知ることは、マイナスにならずに持ち堪えていたものがマイナスに傾く要因である。日常をともにする相手は、マイナスを与えてくるひとは論外であり、時折プラスを与え合うような関係が理想だ。「あなたは私をどう大切にしているのか」など質問する時点で少なくともプラスを感じていない。その上でそんなマイナス要因持ってこられたら心の天秤は傾く一方だ。

いくら返答に困っても、しないように心がけているマイナスの言動は、口に出してはダメなのだ。「マイナスの言動をしないように心がけている」状況はプラス(もしくはプラマイゼロ)だが、「マイナスの言動をしないように心がけている」と言ってしまった状況はその質問に至るまでの経緯を含めてマイナスにしかならない。もっと違ったニュアンスとシーンでいえばプラスになることもあるかもしれないが。

深く考えずに質問したが、なんて幸せになれない質問をしたんだと公開した。何を言われても心が冷えていく。

なにかプラスのことを言ってくれれば満足するのかといえばそうではない。まず、私は愚かではないし鈍感でもないので、相手が心がけてくれているプラスに気がつかないわけがない。でも考えすぎて、私は愚かではないが、私の大切に仕方と、他人の大切に仕方は異なるかもしれないと考えた。持論として、自分が愛されたようにしかひとを愛せないと思っているので、そもそも愛し方が違うのかもしれないと考えた。それならば訊いてみるしかないじゃあと。なるほどね、そういう風に私を大切にし、思いやってくれていたのね、と思える返答があるのかは深く考えなかった。

マイナスのことをしないって、ものすごく重要。でもそれを答えられると心が冷えてしまうのは、この人はこんなにも、私のためにと、様々なことを我慢し、やってあげてるつもりなのかと自分の立ち位置を理解してしまうから。

私が言われたくなかったら、あなたはそれを言ってしまうのか。私がされてもよいというなら、あなたはそれをしてしまうのか。

私のためにしないというなら、本当はあなたはそれをやりたいんだな。

そんなことを。

君のために喫煙はしないと言う人は、本当は喫煙をしたいひとだ。

私のために人は殺さないと言う人は、本当は人を殺したいひとだ。

本当は人を殺したい人なのだと知ったとき、私のために人は殺さないんだと喜べるだろうか。