屠所の羊

備忘録

亜獣譚

亜獣譚という漫画が完結した。

この漫画の新刊が待ちきれないのでマンガワンをダウンロードした。

完結おめでとうございます!ってことで医局で読み返しながら感想をしたためました。

まず、第一話の掴みがよかったですよね。ね。私、1巻持ってないというクソ野郎なんですけど、主人公の所業が最悪すぎてビビりましたし、これからどんな絶望が来るのかと思いました。エッチだし。

初めアキミヤ・ツキヒコはソウを絶望させて不幸にしてその不幸で自分を幸せにしようとした。そしてあわよくばその不幸で自分を憎み殺してくれることを望んだ。完全に自分のことしか考えていない身勝手な自殺願望者である。他人の不幸は蜜の味。正直、自分は幸福な人生しか歩んだことがないので、他人の不幸は蜜の味、というのはあまり共感できない。綺麗事とかでなく。他人の幸福が妬ましい、ならわかる。不幸な人を見ても幸せな気持ちにはならない。気を遣うし、できれば自分の周りはそこそこ幸せであって欲しい。そのほうが自分も楽だからといったどこまでも自分本位な希望だ。しかし、+であれ -であれ、自分の行動や言動が他人の気分を変えるというのは、贅沢な体験であると思える。自分をゴミのように扱う人に囲まれて育つと、そう言ったものを求めてしまうのかもしれない。話せば耳を傾けてくれる人が居ないことが普通だった人は、話を聞いてもらえる喜びを知っている。ツキヒコは人を愛したことはあったが、幸せにしたことはないと思っていた。作中にも出てきたが、幼少期の傷は成長した後から薬を塗ることはできない。大人にとって狭い庭も子供にとっては広大なジャングルだったり、あっという間に終わってしまう夏休みは、子供には飽きるほど長い夢の時間である。大人は蚊に刺されたようなもので住む他者からの悪意は、子供には突然振り落とされた斧のように襲いかかるかもしれない。そしてそのケアは、その時にしなければ、決してなくならない。時間が何層にも澱となって見えにくくしてしまうかもしれないが、確かにそこにある。作中ではバームクーヘンでうまく表現されていた。

私が作中最も好きなシーンは、アキミヤがチルに「そいつと一緒にいる時に喰うメシは美味いか?」と聞く場面だ。飯がうまいのが、一番だ。精神的に参っている時は飯はうまくない。「そこでお前は幸せになれるのか?」そう言った曖昧な質問ではなく、歯を溶かすくらい嘔吐を繰り返す生活をしていたチルに、「メシはうまいか?」と聞くアキミヤは、本当にチルのことを思いやっている。それが感じられてよかった。ただただ、「ソウから頼まれたから」だけではない。

ハラセがチルに「どうしてお前に目をつけたか分かるか?」と尋ねる回想シーンがある。「顔がいいから?身体がいいから?去勢されてるから?俺が弱みを握ったから?」「俺がお前を見下してるからだ」「女だから男だから子供だから老人だから生徒だから教師だから景観だから政治家だから不細工だから貧乏だから・・・なにか「だから」狙うんじゃない。「簡単に壊せる」そう思われたやつから餌食になるんだ」ハラセ、意外と考えているんだなあと感心しました。基本的に強者はこういった力関係には鈍感だと思っていた。ハラセも害獣駆除という仕事をしているし、弱者の立場を知っているということかもしれない。強いものは害されない。そして強いものは痛みに鈍感であり、配慮がない。食物連鎖のように、自分を搾取する強者からのストレスを、自分より下であると判断した見下している相手に発散する。ピラミット最上位の本当の強者は害されないためにその構造に気がつかない。中間層は自覚した上で自分の精神衛生を保つためにそのピラミッドを維持する。改善を望むのは最下層のものくらいだろう。チルやユメカミはそこにいたのではないか。そして、アキミヤはそのピラミッドには属していなかった。誰も見下したりしなかった。おそらく自分以上に罪深い人間はいないと思っていたからかとは思うが、圧倒的強さを誇るアキミヤにユメカミが憧れこそすれ妬みはなかったのは、住む世界が違ったからだろう。あくまでユメカミは人間になりたくて、ピラミッドの上位に妬みを感じていた。人の道から逸れ、自分の復讐を邁進するアキミヤになりたかったわけではない。

アキミヤが「殺す 無実の人間を壊す者全て 殺したい」というシーン、とても力が入っていて好きです。こう言った怒りは最近よくわき起こる。なぜ、なぜ、罪のない人を傷つけるのかわからない。

そうしたアキミヤもどんどん人に近づいていきますね。初めから人間だったけど、自分を人間と認めていないところがあった。「殺したい」よりも「愛したい」に変わっていく。憎いおじさんを殺さないと言い、虫になったソウでも愛しますと言った頃からもうアキミヤは復讐から解放されていた。

「あなたがオレにかけてくれた言葉と体温が好きです」

人は言葉と体温に救われるのかもしれない。なんていいセリフなんだ。

最後に私が好きなシーンを貼らせていただく。アキミヤは「周りの人間全てから 愛されて褒められて撫でられてぬるま湯の中で 血も流さず 育ってきた」とソウを評していたが、そういうふうに暖かい日のあたる場所で育った人しか人を救えないのかもしれない。