屠所の羊

備忘録

2019年度を振り返って

さて、そろそろ今年度も終わりなので、好きな曲を聴きながら今年度を振り返り、反省し、来年度への抱負でも考えようかと思います。あまり年越しとか大事にしない人なんですが、区切りをしっかり意識して置くのは成長する面で大切ですね。

4月からは新天地での仕事だった。引越しをして、新たな家、新たな病院での仕事。まあ毎日が必死で、光陰矢の如しだ。日々わからないことだらけで、よくわからないままにやったことのないことを手探りでやる。上司はとても怖い。爆弾と働く。ゴールデンウィークもどこへも出かけず働く。不思議とあまり不満はなかった。新しい環境は昔の私を知らないひとが多くて、離婚して姓が変わったばかりの私にとって大変居心地が良いものであった。後悔はないといえ、そこを突かれるのは良い気分はしなかったから。言ってみれば自分の愚かさを掲げているようなものだったからだろう。4月も5月も短くて、6月も発表だったりなんたりあったりしてとても忙しかった。特に何かしたかと考えるが、働いていたことしか思い出せない。辛くなかったことの理由に、職場の同期がとても楽しい人たちだったことが挙げられるかと思う。6月にはみんなで泊まりでBBQをしたりなどした。とても田舎にある病院なのだが、周囲が自然に囲まれていて大変美しい。BBQをしたのも熊出没注意の山の中だが野鳥に荷物を荒らされたりなどして楽しかった。日々の出勤も、鷺の飛来する川を渡り田んぼの脇を抜けて、遠くにまだ残雪の残る山並みを眺めながら運転できるので、飽きることはなかった。私はあの土地をとても気に入っている。そうだ、私には好きなひとがいたのだが、6月に私は告白をした。予想はしていた(予想していたので「端的に返事をしろ」と告白後に付け加えている)が、はっきりとした返事をなかなか寄越さず、口先でゴニョゴニョ言っていた。まあそういった余計なことを考えすぎて身動き取れなくなるような愚かしいところも可愛いと思っていたので、仕方ないかと諦めていた。そんなこんなで私からの大きな好意でもって付き合うことにあったわけだ。7月に入ると診療科が変わり、鬼上司から解放されかっこいい上司にムフフしながら楽しく働くことができた。別のあらゆる人に電話しなければいけないと言うストレスは増えたものの、少なくとも口内炎はできずに過ごせた。医者として強くなれたかと言うと、そんなことはない気がする。現場での経験値は増えた。しかし、鬼上司は鬼なだけあって、しっかりとエビデンスに基づいた治療をしていたが、そうでない人も多く、結構曖昧なまま経験則で行われていることも多いのだなと思う数ヶ月であった。なぜ、この薬を入れるのか。その質問に明確に答えられない医師は理解しているとは言えない。まあ、救急の場は専門から外れていることを行うので仕方ないのかもしれない。今を凌ぐためのものだから、間違ってなければいいのだ。私はちゃんとエビデンスに基づいた診療をしようと思った。私はあの3ヶ月、経験から診療していた。3ヶ月目のある日、後輩に尋ねられたことに答えられなかった。それがテキトウ人間の私の現実だった。テキトウに適当っぽいことをやってたにすぎない。恥ずべきことだ。しかし、悔い改めるまでなくして、私はその病院での研修を終え、最後に夏休みをいただきニュージーランド旅行を楽しんだ。ニュージーランドは良い景色であった。こじんまりとした町とあとは広大な土地と羊。移動距離が大きい。ワイトモの洞窟は美しかったが、観光地感がめちゃくちゃ出ているので少し興醒めしてしまう部分もあった。ホビットの村は手入れが行き届いていて美しかった。ロードオブザリングのファンなら行くべきである。残念ながら私は未読、未鑑賞であったため単純に景観の美しさへの感動のみだ。本当に誰かが住んでいた遺跡とかの方がテンションが上がる。三内丸山遺跡も広大な感じが似てるが、あれは景観はよくないがテンション上がるし何回か行きたい。ホビットの村は一回行ったからもういいかな。まあ友人との旅行と言うことで単純に友人との時間として楽しい旅行であった。今度長期休暇が取れたらこの時諦めたアイスランドに行こうと思う。いや、マチュピチュも死ぬまでには行きたい。いつならいけるだろうか。さて、旅行から帰ってきて、新しい病院へ移った。付き合ってる人もいる病院で、単純にその点で私は楽しみにしていた。しかし、外来や当番など一人でやらされるようになり、毎日必死であった。なんだ、年がら年中必死だな。いつだってギリギリで必死。私は私のような医者には見てもらいたくないな。この思いを来年度はどうにかしたいものだ。なんだろう、この病院での3ヶ月は、特に大きなイベントもなく経過しましたね。私は人を殺す力を持っているんだと実感したし、あらゆることが怖くなったが、私は働くしかないので、働き続ける。落ち込んでいるときに飯行こうぜと言ってくれる同期はとてもありがたかった。思えば私は楽しみにしていた付き合っている人に救われたことはないが、休憩時間隣で雑談をしていた同期には何度も救われた。まあ会うのも週1とかだったので、遠くの親類より近くの他人と言った具合に、手が届く範囲の優しい人たちに私は救われていく。人は手に届く範囲しか幸せにできないのかもしれない。あの人は連絡がきたら幸せな気持ちになると言っていたが、私はちっとも幸せな気持ちにはならなかった。近くにいるのにと欲しがりすぎた結果かもしれないが、それを欲しがっちゃいけないなら、私は何もいらない。この期間に何度も別れようか悩んだ。何度も仕事が忙しくてごめんと謝られた。仕事が遅くてごめんと。そんなことを責めてるわけじゃないんだよと何度伝えたかしれない。言うたびに理解した体でわかったと言うが、同じことを繰り返す。理解すると都合の悪いことは理解できない仕様になっているから人間は強い。馬鹿になることがもっとも強くなる近道なのだ。彼の中では私が忙しい恋人にかまってもらえなくて耐えられなくなって別れたことになっているのかな。まあ大差ないけど、現実は愛されていないことに耐えられなくなって別れた、だ。よく、「離婚したのはどっちのせいなの?」って聞かれるが、そんなの別れを切り出した方のせいとしか言えない。別れたいと思ったせいでしかない。その「別れたい」の原因がなんであれ、そう思った人のせいであろう。まあ、なので、今回の別れは私のせいなのだが、できれば自分のせいとは思いたくなかったので振ってもらおうかとしばらく年明けも別れずいたのだが、振ってももらえないので自分で切り出した。付き合い出す時も私からだったので、まあ妥当と言えば妥当。面白くもない終着点であった。職場がまた2020年から変わり、離婚前と同じところになった。結構「あれ?結婚した?」って聞かれて気まずい感じなった。この頃には自分の中で過去の話として割り切れているのでなんともなかった。このタイムラグはありがたかった。ただ、勉強不足は日々感じていて必死に生きることになった。まあ仕事も私生活も年中必死であったな。特に付き合っている人に別れを切り出し、しっかり別れてからは、口腔粘膜が荒れに荒れ、化学療法の副作用で荒れている人はこれ以上に辛いのかと過去の私に診療姿勢を反省するに至った。チョコラBBはよく効く。ビタミン野菜も飲んだ。おしっこがとても黄色くなるので水溶性ビタミンを感じることができる。大量にビタミンを摂取したこともあってか、だいぶ改善を認めるので、この週末は温泉に泊まって美味しいものを食べてゆっくりしようと思う。

以上を踏まえて、2020年度の抱負は、エビデンスに基づいた診療をする。また、手に届く範囲の人たちを助ける。自分を大切にする。