屠所の羊

備忘録

鬼滅の刃23巻を読みました

幾星霜を煌めく命

鬼滅の刃は幾星霜苦しみ悲しみ戦い抜き、千年の夜に夜明けをもたらした、煌めく命の物語だったんだね。

 

23巻を全て上手に振り返ることができる気がしないから、23巻あたまから感想を連ねていきます。

まず、執念。おそらく長い年月をかけて、強くなる方法を検討し、その末でたどり着いた答えが「お前を弱くすればいいだけの話」まさに執念。しかしそれに対し無惨が「この短時間であの女が」と言っているのは無惨の生きてきた年月を思わせる。そしてその年月をかけても太陽は克服できず、彼はなにも生み出すことができなかったのかと虚しさを感じる。上手い。そして童磨に使ったものとは全く異なる薬というのも、しのぶさんも復讐に生きてなかったんだなと。あんな自分を毒にして憎い鬼を殺す執念を持っている人が、珠代様の薬を使えば自分の命を使わずとも童磨を殺せただろうに、それで終わりではないんですね、あくまで「悪鬼滅殺」。薬の情報を無惨に与えるわけにはいかなかった。無惨を殺し、人々が安心して暮らせる世の中を作ることが目標なんですね。

伊之助、私、伊之助、初登場シーンを引きずってて割と嫌いだったんですよ。やり返さない善逸をぼこぼこにしてたし。それが、ほわほわしだして、炭治郎とか善逸とか、長屋敷の人たちとか藤の家紋の家のお婆さんとか煉獄さんとか柱や隠の人たちとか、いろんな人と触れ合ってほわほわしたり、美味しいものを食べたり、母を思い出したりして、人間味を帯びていった。死んだ奴は土に帰るだけだと言っていた人が、「返せよ 足も手も命も全部返せ」と言うんですよ。泣きました。「一緒に飯を食った仲間だ」って、ちゃんと覚えてるじゃん・・・伊之助・・・。

善逸は、ほんといい子だね。あの場面で、自分には家族がいないのに、死にそうな炭治郎にかける言葉は家族みんなが待ってる家に帰ろう、ってことなんだよね。まだ戦えなんて言わない、生きることだけを考えろ、っていう。泣いた。

みんな合掌して勝利を祈っていたね。

はあ、左腕がない炭治郎と右腕がない義勇さんの二人の掌握で赫くそまる刀身よ。

無惨の最終形態が赤ん坊の姿とは、予想してなかった・・・。たしかに、無惨は最初から最後まで赤ん坊だったね。生きるためだけの存在。本能だけの存在。

輝利哉さま、基本的に一人称「私」なのに、最後皆一緒に立ち向かう隠たちに対して泣きながら「死ぬな一旦退がれ!!次の一手は僕が考えるから!!」っていうの・・・僕って言うの・・・こどもながらになんて重い責務を・・・。それでいて無惨が焼け消えた後の一声は「怪我人の・・・手当てを・・・」だよ。どこまでもお館様・・・。

「明日さえ来ていたら」悲鳴嶼さん、子供たちと和解できてよかった。しかし、鬼が夜しか活動できないからいつだってそうなんだけど、夜明けの幸福感がすごい。ずっと明けない夜だったんだね。ずっと来なかった明日がやっときたんだね。

伊黒さんと、甘露寺の最期・・・あの・・・号泣でもう読めない。伊黒さん、あくまで、あくまで甘露寺さんに対して、勇気づけることしか言わないんだよね。どこまでも甘露寺を救うための言葉を並べるよね。好きだとか言わないんだ。もう、愛じゃん・・・。

不死川実弥さんもね、私第一印象から好きじゃなかったんですよ。なにこの顔怖い粗暴な男。って思ってたの。過去のこととか弟との付き合い方も、言葉にしないですれ違ってもうもどかしい!って思ってたんです。なんですか、闇に隠れる母の存在にもすぐ気が付き、声をかけ、笑顔で「お袋背負って地獄を歩くよ」って、なんですか。今までどんだけ辛い思いをして生きてきて、これから、母の罪まで背負って地獄歩こうってか。強く、優しすぎる。嗚咽漏れた。

善逸はいつでも面白くて最高だな。

あれだけ、炭治郎はどこだ、炭治郎は無事かと言っていた義勇さん、炭治郎が鬼になった瞬間の決断が早くてさすがとしか言いようがない。そして躊躇わずに攻撃する。さすがとしか言いようがない。同時に、義勇さんがねずこを殺さなかったの、すごいことだったんだなと。

回想・・・俺たちは仲間・・・兄弟みたいなもの・・・

伊之助・・・できないよね・・・できないよ・・・(嗚咽)

ねずこちゃん、きみは、きみはほんとうに炭治郎の妹であの家族の一員なんだね。どうして一生懸命生きてる優しい人たちがいつもいつも踏みつけにされるのかなあ、わからないよ。みんな幸せになってください。

みんなみんな、自分を犠牲にしすぎだよ・・・

サバイバーズギルトをついてくる無惨、どこまでも癪に障る。でも、鬼滅の刃はそういった感情をしっかり人の善性から否定してくれる。生きていていいんだよっていってくれる。無限列車編でもそうだった。人は自分を責めてしまうけれど、あなたのことを愛する人は絶対にあなたを責めたりしないよって教えてくれる。すごく愛されていることを感じるし、愛されているという自覚をもつということの大切さを感じる。

生きるということに執着している無惨にとっては、「お前だけ生き残って」という怨嗟の声が1番容易に想像できるものだったんだろう。

鬼たちって、基本的に皆元人間で、猗窩座とかで描かれてるけど、基本的に境遇が悪いんですよね。善悪とは?と考えさせられる。ただ、無惨は別。たしかにはじめは体が弱くて恵まれておらず、生存本能に従って生きていたかっただけの哀れな存在だったけど、後々はただ自分の欲求を叶えるためだけに人を殺すという同情の仕様がないものになっている。そして追い詰められるほど無惨は最低な発言を重ねてくれる。勧善懲悪だからここまでのカタルシスを味わえるのだろう。子供の頃の私はピサロ倒してもスッキリしなかったもん。

藤の花が美しい。藤は不死、不滅の思いの象徴だったのではないか。

目覚めた炭治郎、あんなにボロボロで他人を思いやるの、本当にいい子だし、らしすぎる。

鬼滅の刃は、真っ当に生きる優しい人たちが理不尽に虐げられないよう願う、優しい物語だった。204話のさいごのモノローグは誰かの遺書だったのかな。

あくまでも人を殺すという罪を犯したものは罪を償わなければならないという立場で描き切っていらっしゃったが、最後に罪を償えばきっと許されるよ、と救いを与えている。

きっと鬼になった炭治郎も、周りの尽力と運で人を殺さずに済んだけど、一歩間違えば人を殺していた。真っ当に正しい道を生きようとしていても、そうやって道を踏み外してしまう事がある。生まれ落ちた境遇や、周囲の人達、ひとつの不運、いろんな理由で「鬼」になってしまう。「今度生まれてくる時は、鬼にならずにいられたらいいな」と願うしか無い。「地獄におちろ」など、鬼滅の刃の世界には地獄の観念があって、みんな輪廻転生は信じているんでしょうね。そこそこ生きてきて思うけど、宗教は生きる上でたしかに救いになりますね。輪廻転生でもないと、絶望しかないくらいに生まれ落ちた時から人生が決まっている人たちがいた。堕姫と妓夫太郎とかそう。今度生まれてくる時は、仲良く幸せに生きて欲しい。

「生まれてくることができて幸福でした」

何度読んでも泣くのですが、最後の、生き残った人への救いですよね。優しい。鬼滅の刃は10割優しさでできている。