屠所の羊

備忘録

違国日記を読んで

 平成もおわり、令和になったのでブログでも初めて見ました。なんて、本当は4/27あたりに読んだヤマシタトモコ先生の違国日記が良すぎて日記をつけたくなったからです。それでブログにしようというなんて私は自己顕示欲が強く寂しがりなのかもしれない。

 『違国日記』は言葉の紡ぎ方がすごくきれいで、この言葉に至るまでに様々な葛藤とあきらめがあるんだろうなと実感できるセリフがたくさん出てきて、素直に素敵だなあと感心したのだけど、最近そういう心遣いをみるとなんとなく心苦しくなってしまう節がある。苦しんだことがある人間だけに行える配慮と共感に至るまでの背景を思ってしまって苦しくなる。

 同居人を「違国」と表現した、あなたと私は違う生き物だから、というのは、たぶん生きていく上でぶち当たる様々な壁を前にして、壁そのものの存在を憎めない人間が自分の心と折り合いをつけるために行きつく先だと思う。ネガティブなことを言ったが、素敵な生き方であるとも思う。ただ、「あなたの感情はあなたのもの」といったスタイルで生きていくのは言葉でいうより困難であると思う。家族、友人、恋人など、近しくなればなるほど、他者と自分の境界が曖昧になってしまうのは私だけではないだろう。もしかしたらそれを愛だのなんだのと表現してしまうことも可能なのかもしれない。時に私の情動の原因をあなたに求めてしまうかもしれないし、あなたに「喜んでほしい」「悲しんでほしい」と求めてしまうかもしれない。「愛」していれば、それが許されてしまうのかもしれないが、もっともこんなめんどくさいことを考えている人間はそういった関係を理想としていない傾向にある。そしてこれまためんどくさいことに、そういった関係をよしとする人を否定することも好ましく思わないので、結局「違国」の文化として受け入れて流すのである。愛しもしないが、踏みにじることもないのだ。それは愛ではないのかと少し考えてしまうこともあるが、愛がなければ他者を踏みにじる世界っていうのも結構絶望的だからやめておこう。

 最後に、「異国日記」ではなく「違国日記」というタイトルにしたのは、主人公が一人じゃないからでしょうか。これからも楽しみです。笠町くんどっかにいないかな。